【Meet the Orchestra】鶴見で広がる音楽の輪、鶴見室内管弦楽団密着

創立より約15年。親から子へ受け継がれる音楽の伝統

おとぺディア編集部


アマチュア団体。音楽に対する想いや活動はプロの世界とさほど変わらず、楽団の数も多く存在しています。”楽器を始めたけれど楽団への入り方が分からない、興味はあるけど情報が見つけられない”といった人たちへのなにかきっかけになれば。音楽はボーダーレスであり、音楽を身近に感じてもらいたいという我々の想いから密着取材へと繋がっています。


※取材は緊急事態宣言前に行われたものです。

楽団プロフィール

2006年 「シンフォニア・ソナーレ」弦楽合奏団として活動。2009年12月「鶴見室内管弦楽団」に改名。2011年4月サルビアホールにて東日本大震災のためのチャリティコンサートとして第3回定期演奏会を開催。その後毎年4月の定期演奏会と地元での演奏会活動を行っている。     

左: 団長 富山 辰夫(とみやま たつお)さん チェロ

中央: 副団長 塚田 絢子(つかだ あやこ)さん 2nd ヴァイオリン

右: 泉 国寿 (いずみ くにとし)さん コンサートマスター


ひとりのあるヴァイオリンの先生から始まった

ーまずどのようなきっかけでこのオーケストラが生まれて、現在に至ったのでしょうか。

富: 今から15、6年前の2006年頃に副団長の塚田先生(写真中央)のお弟子さんが母体となって、「弦楽合奏団を作ったらどうか」という提案があったんですよね。僕もたまたまチェロをやっていて、塚田先生とはだいぶお付き合いが長くなるんだけれども、何人かの人を集めようかって話になった。最初は「シンフォニア・ソナーレ」って名前の弦楽合奏団だったんですよ。それがだんだん大きくなっていきました。今の名前に「室内」って書いてあるのはそこからきてるんです。

ー最初は「弦楽合奏団」であった名残が残っているんですね。

富: トロンボーンやティンパニだとか、今はティンパニは入れてますけども、この時は大きな楽器は入れないようにしよう、と。途中で方向転換したんだけど、最初の3、4回は弦楽合奏団としてやっていました。そこで塚田先生に声をかけていただいて、僕も指揮者だとか何人か呼んで。なかなか人的な繋がりがないとできなかったから……。

塚: 本当のもともとのきっかけは、私が大人の生徒を何人か教えていて、大人の生徒がある程度弾けるようになると先生、何か合奏曲のようなものが弾きたいです。って言ってね。それでじゃあ何か合奏団を作りましょうかってなった時に、たまたま富山さんや近所にヴァイオリンを弾く方がいらしたので、声をかけたんです。

ー 富山さんと塚田先生はどうやってお知り合いになったんですか?

富: 馴れ初めをいうと少し長くなるんですが、たまたまね、僕が港北区区民交響楽団に何年もいて、僕が団長もやったこともあったんだけど、そこに塚田先生とお知り合いの人がいたの。それが良くなかった(笑)

塚: 大人の生徒の「勉強会」っていうのをやっていたんです。そこにふと富山さんが聴きにいらして、ちょっと後ろの方に「怪しいおじさんがいる!」と思って(笑)

富: そうです、私が変なおじさんです(笑)

塚: そしたらそれが富山さんだった(笑) チェロがとてもお上手だし、お人柄もいい方だし…..

富: 嘘ばっか(笑)

塚: それで声かけて、一緒にやることになったんです。

富: 割と抵抗なく何年もお付き合いがあるかのような感じで、スーッと物事が進んだんですよ。先生が何人か集めて、僕も何人か集めて、先生の方が圧倒的に多かったけど、20人足らずでやってみようって。

ー 集めるときにパートが足りないということはありませんでしたか?

富: 強いて言うなら、チェロが僕ぐらいしかいなかったことかな。ヴィオラはいたんだよね。

ーヴァイオリンもヴィオラも全員塚田先生のお弟子さんだったってことですか?

塚: はい。

富: で、僕はコントラバスの青木さんという付き合いの長い人がいて、その人を初代の指揮者にしたんです。東京音大出ていらして、他のところでベースもやっている人だったから。指揮として「どうですか」って言ったら2つ返事か、いや2.5返事くらいで(笑)、それでやろうと。

最初は1年半に1回くらいの頻度の演奏会だった。第1回は蒲田にある「アプリコ」という小さいホールで、舞台から飛び出そうになりながら。

塚: 2回目が鶴見公会堂だっけ?

富: そうそう。で、そのうちにいろんな意見が出てきた。やっぱり「弦楽のままでいい」って人もいたんですよ。「私は最初からそのつもりだったんだ」とかね。でも、僕も他のオーケストラにいたこともあったけど、鶴見区には常設のオーケストラがないんで、作ったらどうかと

総会を開いたら、圧倒的多数でもなかったけど、管楽器いれてもいいんじゃないかという話になった。そうするとレパートリーが広がる。どうしても弦楽器だけだとドヴォルザークかチャイコフスキーになっちゃう。

ー 曲が限られてしまいますよね。

富: まぁ同じ曲でもやっていけば色々あるんだけどね。楽しいんだけども、やっぱり広がりがない。ということで、いきなり40番やったよね?

泉: 2012年が最初のシンフォニーで、モーツァルト40番でしたね。

富: 40番は指揮者に三原明人さんって方を呼んで、それで管楽器はほとんどエキストラばっかりだったのかな。

ー そうするとオケは今から約10年前ですかね。

富: ちょうどそんなもんですね。それはサルビアホールでやった。それっきり弦楽合奏はやめちゃって。

泉: 3曲の内1つだけ弦合奏、なんていうことはありましたけどね。


オーケストラとしての歩み出し

残された課題

富: やっぱり元は弦楽合奏団だから、どっかにあるんですよね。そういうものを主体にしていこうっていうのが。それとあともう1つは、管楽器が意外に集まらなかったんですよ。公募もしているんですけどね。

ーどうやって集めたんですか?

富: 要するにホームページを作って公募してみたり、それから関係のある人を呼んだりして。でもやっぱり、例えばファゴットがいないとかさ、クラリネットがいなかったり、そういうことが結構ありますね。ちょっと後遺症が残っちゃってる。弦楽器は今まで何人か指揮者がいらしたけど、レベルが高いって言われた。そんなこと言うと、なんか塚田先生を持ち上げるみたいだけど、やっぱり弦楽器はね。特にヴァイオリンは、コンマスが一生懸命持ち上げてくれているんだろうけど。だからこそ、逆にもったいないねとも言われる。

泉: あとメンバーが、若い方とベテランの方と二つに分かれてしまっている。ベテランの方は大編成の曲を散々やり尽くした方が割と多い。で、古典とかはなかなかできないから、それでバロックとかハイドンとかやりたくて、続けてる人は多いかな。

塚: あと、当時子供だった子が成長して、お母さんになったり社会人になって、親子二代でこちらに入ってきて一緒に弾けるっていうのは、私はすごく幸せです

ー私も中学3年から高校1年の時団員で、そこから10年経ってまた今回エキストラとして参加させていただけてとても嬉しいです。

 (※おとペディア編集部メンバーがエキストラとして今回の演奏会に出演)

富: あなたがいいサンプルじゃない(笑)弦楽器はだからそういう意味ではブレないところがありますね。人数が変わったり、不幸な話、亡くなってしまった方も何人かいるんですよ。それでも伝統までいかないけれど、弦楽器を中心にしてね。弦楽器がしっかりしてないとオケってなかなか続かないですよね。どうしてもブラスバンドになっちゃうから。ハイドン、モーツァルトはやっぱり弦楽器が主体ですね。


続きをお楽しみに!