【ドイツ・リューベックからお届け】リペアマンの学校から藝大へ方向転換。約3ヶ月で合格した秘訣は「カラオケで毎日受験ごっこ」

2018年東京藝術大学を卒業後、広島交響楽団ホルン奏者を経て、現在はドイツ・リューベックにて留学中の鈴木一裕(すずき かずひろ)さん。

多角的な視点と経験を持つ鈴木さんのお話を3回に分けてお届けします。

第1回『”かっこいい”を追い続けるその先には』

ーホルンと吹奏楽はいつ頃から?

鈴木さん小学校4年生からです。当時住んでいた千葉県では吹奏楽が盛んで、気合の入った先生も多く、吹奏楽の大会に対して熱意のある学校が今も多くあります。そのうちの1校が母校ですが、当時はホルンの存在を知らず「木管楽器がやりたいな」と思って見学に行ったんです。体験入部でさまざまな楽器を吹くことができたのですが、その後面談の時に『ホルンどう?』と顧問の先生に言われてしまって。やれと言われたら断れない性格なので、流れでやることになってしまいました。

ー小学生で吹奏楽を始めるのって珍しい気が。

鈴木さん:そうですね。結構珍しいみたいです。あとは最初からフレンチホルンを始められた、というのは今後のことを考えると強かったかもしれません。

ー”最初から”ということは、フレンチホルン以外の楽器からスタートすることもあるんですか。

鈴木さん:小学校には吹奏楽以外に『金管バンド』があって、そこではアルトホルンという楽器になるんです。アルトホルンは金管バンドのために作られた楽器で、マウスピースも違えば楽譜の読み方も違います。基本的な奏法は同じですが、吹き心地も音色も変わってくる。吹奏楽をしたいのなら、アルトホルンを経てフレンチホルン、ということも。自分がいた小学校は吹奏楽だけだったので、フレンチホルンからスタートしました。

アルトホルン

ーということは、中学高校も吹奏楽部でした?

鈴木さん:はい、千葉県の習志野高校出身です。

https://youtu.be/XAhHxn1eS10

↑さくらのうた/福田洋介作曲 では、鈴木さんがソロを吹いていますので必見です!

ー習志野高校と言えば全国屈指の吹奏楽強豪校ですよね。目指すこととなるキッカケがあったのでしょうか。

鈴木さん:ホルンが楽しかったというのもあるけれど、自分が住んでいた習志野市という土地の影響が大きかったのかもしれません。というのも、習志野市小中学校管楽器研究講座(習志野高校(以下、習高)3年生が小中学生を対象に月1回レッスンをする)があって、3月には集大成として『ならしの学校音楽祭』で一緒のステージで演奏できるというイベントがあるんですよ。そんなのに参加したら「お兄さん、お姉さんカッコイイ!習高カッコイイ!」って気持ちが上がる。さらに高校の定期演奏会に行けば、ステージでは楽しそうなことをたくさんしてる。楽器が好きな気持ちも相まって「俺も入りたい。習高に行きたい。いや、行くしかないっしょ!!」って見事吹奏楽の罠にハマりました(笑)もちろん習高進学後は自分が指導する側にもなりましたよ。

ーそこから自然と藝大に行きたいいう気持ちがあったんですか?

鈴木さん:実は、藝大入学前はリペアマン※になるための専門学校に通っていました。

※管楽器の修理を行う専門家

ーええ!プレイヤーではなく”リペアマン”になりたいと思ったのは何故?

鈴木さん:小学生の時から交流があった伊藤楽器の習志野市担当の方がすごく格好良く思えたんです。その方はたまに学校へ来て、修理品を預かったり注文していた商品を持ってきてくれたり、ちょっとした修理ならその場で直してくれたのを見て「かっけーリペアマン!」と。さらに高校の吹奏楽部では『伊藤楽器係』をやっていて(笑)担当者とコンタクトを取って、「次いつ学校にきてもらえますか?」「修理品があるのですが」というやり取りをする。そこで色々なお話を交えながらも進路相談をしたところ、その方が卒業された専門学校を紹介してくださったので、個人でアポを取って試験を受けて合格して….そんなこんなで修理の道へ1度は行くことになる、というわけです。

ー修理の道から音大を目指すというのは大きな方向転換だと思いますが、どこかで心情の変化があったのでしょうか。

鈴木さん:そうなんですよ〜。実際修理の授業が始まった時に、今までは毎日部活で必要以上に楽器を吹いていたので、そこで吹かない時間ができて「あれ!なにこの寂しい感じ!」という気持ちが生まれたんです。とはいえ、リペアの専門学校でも修理した楽器を自分で吹いて状態のチェックをする技術もある程度必要なので、6種類の楽器を演奏できるようになる授業はありました。ただこれは音を出すためのレッスンなので、自分には物足りなさがあって。それもあって入学して1ヶ月足らずで知り合いの先生の個人レッスンへ通うようになりました。今でも御世話になっている方が僕の1番最初の先生なんですが、「音大を受けてみたいなって思っているんですけど…」と相談したところ「もし君が本気で考えているなら僕は精一杯フォローするよ。」と言ってくださったんです。そして両親にも相談したところ、「まあいいんじゃない?」と。周りの理解が得られなかったら諦めよう、と思っていたので、幸せなことに理解を得ることができた。そんなわけで19歳の5月くらいから受験勉強がスタートした。ピアノもそこではじめて習い始めましたよ。

ー専門学校と受験の両立が始まったんですね。

鈴木さん:専門学校行きながらバイトもして、教習所も通って、受験勉強もして…という生活でした。そもそも1年目はお試し受験みたいな雰囲気にしようと思っていたんです。ペースを落とすわけではないですが、エチュード(練習曲)なんて吹いたこともなかったので、なんとか形になるところまでは持っていくつもりでやってはいました。でもその年の11月下旬、とあるコンサートを聴きに行った時「このままじゃいけない気がする。と衝動に駆られたんです。終演後すぐに帰宅して親に「専門学校辞めていい!?」って(笑)親もビックリでしたが、このままだとお試し受験にしても形になりきらない気がしていたし、「この人たちになるためにはこのままじゃいけない。」っていう焦りもあった。ただ、専門学校も1学年14人しかいなくて、せっかく入れてもらったのに辞めるのも…という気持ちはあったので、2年間勉強して卒業後に大学入り直すかと迷ったものの。次の日、学院長に中退を申し出て、11月いっぱいで中退ということになりました。

ーじゃあ12月からは藝大受験に向けて全力投球と。

鈴木さん:中退したあと、まずは免許を取りました(笑)

ーそれも大事ですね(笑)数ある中で”藝大”という学校を志望校にした決め手はなんですか?

鈴木さん:1番は藝大の先生に習ってみたかったから。でも当初受験を決めた時は「藝大ってあの藝大だよ!?」っていうのがあって自分と結びつかない感じがしていたんですよ。ただ高校の同級生とそのお姉さんが藝大にいたから、大学の存在は知っていました。その高校時代のライバルが藝大に受かって「すげぇな〜」と思っていたので、自分も入りたいなという気持ちもあり。あとは習っていた先生も藝大出身だったので、良いところに違いないというところから「受験しましょう。」ということになりました。学費的にもね。

ー受験まで約3ヶ月、と短い準備期間だと思いますが、これはやって良かったエピソードはありますか?

鈴木さん:近所に住む高校の同級生がバストロンボーン吹きで藝大浪人していたんです。彼も自分も家では練習できないので、一緒にカラオケ行って練習したりスタジオを借りて練習したり、ほぼ毎日一緒に練習していました。営業開始と共に集合して、お決まりの部屋には小さいステージがあったからそこで毎日受験ごっこ(笑)お互いにスケールと課題曲のエチュードをスマホのくじ引きアプリで決めて、

「受験番号1番、鈴木一裕です。よろしくお願いします。」

試験官役の友人

「はい、スケールは○-dur、○-mall。エチュードは◯番でお願いします。」

みたいな。演奏後はお互いに講評を言い合うっていうことをしていたのが、とても良いトレーニングだったと思います。受験仲間がいたっていうのは自分の中では大きかった

ーそれはお互いにとって良い刺激になりますね。

鈴木さん:彼がバストロンボーンを吹いている音を毎日聴いていたので「低い音ってかっこいいじゃん!」って思っていました。今自分がオーケストラで下吹きになりたいと思うのは、その影響もある気がします。

次回、ホルン吹きが語る”ホルンの魅力”をお届けします!