【The Artist’s Mind】「音楽の先生かオーケストラの人になりたい」卒業文集からはじまった、サックスと共に過ごしてきた時間

今回は…
サックス奏者 嵐田紀子(あらしだ のりこ)さんにお話を伺いました。

Profile
嵐田紀子/Noriko ARASHIDA
埼玉県出身。
東京藝術大学大学院音楽研究科修了時に大学院アカンサス音楽賞を受賞。現在は同大学院博士課程を休学中。
2018年、彩の国さいたま芸術劇場で初めてのソロリサイタルを開催。現代曲で舞踊とコラボするなど、難解な作品でも楽しめる演奏会を模索している。第28回大仙市大曲新人音楽祭コンクール奨励賞。
これまでにサクソフォンを松井宏幸、須川展也、大石将紀、有村純親、本堂誠、彦坂眞一郎、室内楽を須川展也、林田祐和、貝沼拓実の各氏に師事。


ーー嵐田さんとサックスの出会いはいつ頃ですか?

嵐田さん:中学1年生に吹奏楽部に入ったのがきっかけ。それまでは小学校の金管バンドでアルトホルンを吹いていました。その時は金管バンド用の楽譜だけではなく、吹奏楽編成の楽譜を使うこともあったので、アルトサックスの楽譜を使用して吹いたりしていましたね。音域が全然違うのに頑張ってました(笑)その後中学校の吹奏楽部に入るつもりなかったものの、小学校で一緒にアルトホルンを吹いていた友人に誘われて仮入部しに行ったんです。で、やるなら絶対サックスが良かった。楽譜も読んだことあったし、当時は映画『スウィングガールズ』が流行っていた影響もあって。そして実際仮入部の際にサックスを吹いてみると…一発で音が出たんです!ネックだけでも、楽器本体でも。その様子を見ていた先輩が「すごーい!」って褒めてくれて、もうサックスの虜ですよね。「私はこれ(サックス)やるんで。」という感じでした。

ーー感覚的に引き寄せられているものがあったのでしょうか。

嵐田さん:母校(中学校)の吹奏楽部は弱小だったんです。全体で約20人しかいなくて、コンクールは出場していたものの賞は取れていなかった。しばらくして、1つ上の先輩の努力があって受賞できるようにはなっていきましたが。そして私は中学2年生の時、のちに敬愛する師匠となるプロのサックス奏者と出会いました。師匠は吹奏楽部出身の藝大卒でめちゃくちゃ上手くて。それまでに聴いたこともない音を目の当たりにして、「こんな風になりたい」って自然と気持ちが湧いてくる。”吹奏楽やりたい”は中学生の頃から思っていたから、もうそれ以外の選択肢はなかったんです。

 もちろん高校でも絶対に吹奏楽はやりたかった。日テレ『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』内コーナーの吹奏楽の旅を観て、強豪校に憧れていました。埼玉には強豪校がたくさんありますが、自宅から近い公立校ということで第一志望として埼玉県立大宮高校(以下大宮高校)を目指しました。
高校進学に関しては、自分で色々調べて決めたというよりも、目の前に選択肢が流れてきて「じゃあこれ!」って選んだような感じなんです。というのも、中学の部活の先輩に大宮高校へ進学された方がいらっしゃったので、吹奏楽部の定期演奏会を聴きに行ったり、母から「大宮って吹奏楽強いらしいよ〜」と囁かれていたり。もちろん自分で最終決断しましたが、この学校に進学出来て良かったです。

ーー師匠とはどのように出会われたんですか?

嵐田さん:ある日、体調が優れないまま部活に参加し、練習中に気を失って倒れたことがあるんです。この出来事について、私の母が「そんな状態なのに部活行ってさ〜。」なんて幼馴染のお母様にお話ししたみたいなのですが、そのお母様、なんと音楽家で!そのご縁もあり、「そんなにサックスが好きなら習ったら?先生、紹介するよ。」とお声がけくださったんです。
そんなこんなで、めでたく中学2年春から本格的に習い始めることとなり、めでたく楽器も買ってもらうことができて。それがYAMAHAのEX、はじめての自分の楽器となりました。

ーーサックス奏者への第一歩ですね。

嵐田さん:振り返ってみると、小学校6年生の卒業文集には「音楽の先生かオーケストラの人になりたい」って書いていて、とにかく音楽関係の仕事が良かったからそれ以外のことは考えなかったです。高校生の時も音楽系以外の大学に進学することは考えていなくて、もはや音楽をやる以外のイメージが1つも無かったから当たり前に続けるものだと思っていました。

 あと、高校1年生の前期から模試を受けなければならなかったのですが、志望校の欄には『東京藝術大学』って書いていたような気がしますね。確か。他の知ってる大学って有名な名前しか知らないから、第二希望とかにはふざけて『東京大学』って書いて、先生に「あなた本当に受けるの?」って呼び出されたこともありました(笑)めちゃくちゃ慌てましたね(笑)
幸い高校の部活の先輩で藝大に進学された方々がいたので、ソルフェージュの先生やピアノの先生も紹介していただいたりして….高校2年生からすこしずつ受験の準備をはじめていました。

ーー高校での吹奏楽部の生活はいかがでしたか?

嵐田さん:高校3年生の時に全国出場して銀賞を取りました!支部大会の西関東では常連で金賞はいただいていましたが、全国大会にはなかなか行けず。やっぱり埼玉には強豪校が多いから…。

全国大会に出場した年は受験生であったものの、サックスの師匠も全国出場経験がある方だったので「全国にいけるのは今だけなんだから、部活頑張りな。」と声かけてくださっていました。なので部活は10月の終わりごろまでキッチリと。ただ、部活仕様でガンガン吹いていたら音が荒れてしまったのもあり、引退直後1発目のレッスンはもう大変でした。やっぱり爆音を求められて、とにかく息を入れて、という吹き方をしていたので、当時は戻り方も分からないし。楽器自体もそういう鳴り方になってしまった。

ーー”音の戻し方”、今は具体的にどのようにされているのでしょうか?

嵐田さん:たとえば、練習前のウォーミングアップを丁寧にしてみる、楽器を吹く前にストレッチをしてみる、マウスピースを替えてみる、新しいリードを開ける、とか。そういう練習とは別のことを試しています。ただ結局は耳とイメージなので、そこを研ぎ澄ませてゆっくり丁寧に吹く。丁寧な基礎練習やピアニッシモのロングトーンをするのも効果的です。
でも、大学に入ってから練習の仕方が分からなくなってしまって。基礎練習やロングトーンなどをちゃんとやっていなかった時期もありましたが、やっぱり今はそれらの重要性を実感しています。

ーー嵐田さんは高校卒業の2年後に藝大入学されたとのことですが、それまでの2年間を振り返ってみていかがですか?

嵐田さん:1浪目でも2浪目でも良い過ごし方をしていないので…反面教師にしてもらえるなら是非してほしいです。浪人生活で良くなかったのは、とにかく練習をいっぱいしていたこと。○時間練習する、という予定の立て方していたんですよね。そんなの疲れてしまうしモチベーションも保てない、でも、”そうじゃなきゃいけない”という固定観念に囚われていました。出来ないことを出来るようにする練習の仕方が下手で、「出来ない!じゃあ頑張る!」とたくさん練習すれば出来ると思って、そんなふうに2年間を過ごしていました。

1浪目の夏、浜松の管楽器アカデミーに聴講生で参加したのですが、そこで初めてサックスの友人ができて、刺激されていたので「練習しなきゃ!!」って。この年は秋くらいからが気持ち的に辛かったですね。
2浪目はモスバーガーでバイトを始めたり(笑)この年は受験直前が辛かったですが、同時にTEAM NACSにハマりました(笑)気持ちを上げるためにライブDVD観たりしてから練習はじめたり、成人もしていたのでお酒を飲んでみたりとか。

でも総じて演奏会はたくさん行ってました。自分にとって何が良い演奏なのか分からなかったので、手当たり次第演奏会へ足を運ぶとか、むやみやたらにCDもいっぱい買ったり。今までは部活だけの世界だったので、”良い音楽”というのを考えてなかったんです。とにかく先生に怒られないように、先生がこうって言ったものに対してその場で答えることで精一杯だったので、自分の中での音楽が本質的じゃなかったと思います。

ーー私(筆者)も浪人生活を経て、メンタル面で鍛えられたところが多くあります。特に実技試験などで強く感じていました。

嵐田さん:実技試験についてそんなに覚えているわけではないけれど、1浪目の時はやっぱり不安みたいなのがありました。絶対受かるっていう気持ちだったかと言われたら、そうじゃなかった。合格した年に比べると。
今でも忘れないのが、合格した年の2次試験で課題曲のデュエフ(フランスの作曲家)を演奏した時、わりと仕上がっていた状態でしたが音ミスなどしてしまったんですよね。でも「え?間違ってませんけど?」っていう気持ちで、ぐいぐい吹き続けた記憶があって。その感じが良かったのか、ポロポロとミスはしたけれど落ちる気はしなかったです。気持ちの違いは大きいかもしれません。

ーー藝大入学当初、どうでしたか?

嵐田さん:入試の1ヶ月ほど前から手がちょっと動きにくくなってしまい、入学直前の3月にはC-durのスケールも滑らかに吹けなくなっていました。なので受かって嬉しかったけれど、やばい!の方が強かったからあまり純粋に喜べなくて。

私を含めて学部の同級生は4人だったのですが、2人はもともと知り合いで、1人は3次試験で出会いました。入学式の日にみんなでキャッスル(藝大の食堂)でご飯食べて、「なんて呼んだらいいの?」とか「Twitterやってるの?」って話してましたね。そういう初々しい時期もありました。皆年下なので最初は気を遣っている感じがしましたが、すぐに打ち解けて1、2ヶ月もすればえげつないイジリもするようになって(笑)でも、楽器が辛い状況ではそういうのが嬉しかった。

ーー大学って良かった!と思うことは?

嵐田さん:周りに色々な人がいて、皆それぞれ凄い人で、「そんな考え持ってるの?」「そんな演奏するの?」っていう刺激に囲まれてるっていうのは単純に面白い。自分と似た人たちと楽しくやるのもそれはそれで楽しいけれど、そうじゃない人たちが周りにうじゃうじゃいて、色々なことをやっている環境というのは非常に良いです。

あと、そういう人達に囲まれていると、すごいなぁ面白いなぁだけじゃなくて、人に対して今まで感じたことのない色んな感情が自分に芽生える感覚もあって。

人に対して「自分ってこんなことを思うんだ」とか「思っちゃうんだ」とか、良いことだけじゃなくてしんどいことも沢山あったけれど、人のことを想像したり、自分を知ったり見つめ直したりするキッカケになったなぁと。

本当に色んな人達に揉まれながら「自分」というものをめちゃくちゃ考えることが出来たのは、私の人生においてとても重要なことだったと思う。今も継続中だけどね。

ーー現在博士課程とのことですが、コロナ禍前のご活動についておしえてください。

嵐田さん:その頃はちょうど修士課程に在籍していて、学業の傍らで中学校や高校への指導も行っていました。そこは変わらず。さらに運良く本番もあって、オーケストラにエキストラとしてお邪魔して、ラプソディ・イン・ブルーやボレロの演奏会に出演していました。あとはとにかく修論、それから学位審査や博士課程入試の準備をしていましたね(笑)今は自粛中で難しいですが、保育園へのアウトリーチもしていました。

ーーサックスでオーケストラへの出演、いかがでしたか?

嵐田さん:大学では授業という形でのオーケストラ経験がなかったので、緊張でした。でも良い音でしっかり吹くということには変わりない。他の木管セクションなどとニュアンスを揃えたり。あと、オランダのアルノ・ボーンカンプ(Arno Bornkamp)さんが日本にいらっしゃった際に「今度オケに乗るんですけど、どうしたら良いですか?」とご相談したところ、「サックスの音はすこし強いから、音をまろやかにして溶けこむように。」と吹き方を教えていただいたりしました。またこれをうまく出来るかと言われると、難しいのですが…。めちゃくちゃ緊張して、上手くいかなくて頭を抱えながら帰ることもありましたが、オケ中で吹く気持ち良さと楽しさは代えがたいものがあります。

ーー音をまろやかに…ですか。

嵐田さん:自分が経験してきて、今も指導者として携わる吹奏楽部では周りの音とのブレンドとよく言われる。例えば、クラリネットと同じメロディを吹いた時にどうしてもサックスの音のほうが強く出てしまうので、「クラリネットの音に合わせて。」と言われたりします。そうなってくると中高生なんかは楽器の良い音を出すというよりかは、鳴らさない方向で主張を薄めて合わせるという方向に行きがち。それって色々なものを失うんですよね。

そういった現場を見ながらプロの現場を経験して違うと感じたのは、発音の仕方と音の処理の仕方がすごくハッキリしていること。息の使い方とタンギングのバランスは難しいこともあるとは思うのですが、それが求められるともまだ知らないんだろう、と。

ーー最後に!サックスの魅力をひとことでお願いします!

嵐田さん:ひとこと!?難しすぎる!(笑)それこそ楽しいになってきちゃう(笑)

でも、クラシカルのサクソフォンは他の楽器に比べて歴史は浅いけれど、他の楽器の曲を借りて昔の偉人の音楽に触れることができるし、オリジナル曲も魅力的な曲はたくさんある。あとは現代曲になると全然違う質感で音を出すことができる。たとえば雅楽のような要素を元にした曲だと、邦楽器の模倣のような演奏をすることもできて、使われる音色の幅が広いのが魅力的。そこが好きです!

嵐田さんの楽器はビュッフェ・クランポンのSENZO。銅の管体がピンクゴールドでかわいい!!