【The Artist’s Mind】大学在学中にフランス留学、そして新たなステップへ。「芸術家でありなさい」師匠の言葉ともに強い決意で歩むピアニストに迫る。


 コロンスタジオのオンラインレッスン室長を務められている、ピアニスト井上響子さん。
ご自身のフランス留学のお話と現在の活動を中心に、音楽に対する想いを伺いました。

Profile
井上 響子/ Kyoko INOUE
桐朋女子高等学校音楽科卒業。桐朋学園大学在学中に渡仏。
パリ地方音楽院スペシャリゼ課程にて国家音楽研究資格取得。
2019年同音楽院コンセルティスト課程を、審査員満場一致の称賛付で修了。
日本演奏家コンクール特別賞、イル・ド・フランス国際ピアノコンクールにてドビュッシー特別賞、クロード・カーンピアノコンクール第2位、レ・クレドールコンクール第2位。
パリ郊外でソロリサイタル開催、マラガ国際音楽アカデミー&フェスティバル参加。第35回パリ・ショパンフェスティバル出演。 
ピアノを鈴木有美、斎木隆、ビリー・エイディ、シャルル・ラヴォーの各氏に、室内楽をパスカル・ル・コール、イヴ・アンリの各氏に師事。

コロン スタジオ・オンラインレッスン室 https://koronstudio-onlinelesson.jimdofree.com


ー大学在学中にフランスへ留学されていたとのことですが、留学することとなったのはいつからでしょうか。

 クラシック音楽の本場であるヨーロッパ、特にフランスで実際に身を置いて音楽を学びたい、という気持ちが以前から漠然とあったので、大学入学時から模索していました。そして大学1年生の秋、後でフランスで習うこととなる師匠のマスタークラスを日本で受講し、その際に留学のご相談をしたのがきっかけです。

ー留学先となる”パリ地方音楽院”への留学の経緯について、お聞かせください。

 もともと学校について情報収集をしていて、そのタイミングで先生のマスタークラスを受けたのが1番の決め手でした。留学を決心した後、留学のサポートをされている日仏文化協会に行って、試験に何が必要なのか、どういった傾向の課題曲が出るのか、大学を途中で辞めていく場合に日本の学校での成績や出席状況の証明など、どういった書類が必要なのか教えていただきながら、音楽関係や行政関係の書類を集め始めました。 

大学を中退して留学する、という決断について周囲はどういった反応でしたか?

 幸い日本でお世話になっていた先生のご理解はいただいておりました。ただ、桐朋学園大学を辞めた後に、フランスの学校を受けて落ちてしまった場合の進路など、不安はありました。

 ヨーロッパの学校は9月から新学期がスタートします。パリ地方音楽院の受験シーズンも9月から10月にかけてあるので、9月には渡仏し現地の自宅に入居、そして個人レッスン受講など、まず現地での生活を立ち上げる必要がありました。そのため大学に籍を置いたまま受験しに行くということが難しかったのです。休学という手もあったんですが、「行くなら今だ!」となぜか自分で固く決めていた部分がありました。7月に退学し、フランスへ飛びました。日本で大学に在籍していた期間はちょうど1年半くらいですね。

ー「この先生に今習うべきだ!」というような直感があったんですね。

 そうですね。先生の音楽性に対して感銘を受けたことと、大変おこがましいのですが、ピンとくる相性の良さを感じました。そしてソフトなお人柄にも惹かれ、「これは!」と。

ーマスタークラスで先生に出会う前からフランス語は学ばれていましたか?

 漠然とではあったんですがいつかはフランスで学びたい、と思っていました。勉強を始めたのは高校生の時からです。第二外国語をフランス語かドイツ語か選ぶ際に、単純な興味からフランス語を選択したというのもあります。

 先生と出会ってフランスへの留学を考え始めた後も、学校で学びながら日仏文化協会のフランス語のクラスに通っていました。

井上さんが学ばれていた学校のコースであるスペシャリゼ課程、コンセルティスト課程、国家音楽研究資格について教えてください。

 スペシャリゼ課程コンセルティスト課程の大きな違いは、最終的に取得できる資格にあります。

 スペシャリゼ課程は、後でお話する国家音楽研究資格の取得を目指すものになります。年齢制限がありまして、ヴァイオリンやピアノの学生だと22歳まで(管楽器や声楽は25〜28歳くらいまで)になります。2年間、より総合的かつ専門的に学ぶ課程です。クルチュール・ミュジカル(音楽教養講座)は、簡単なアナリーゼや同じ曲を使ってさまざまな演奏パターンを聴きその違いについて意見を述べたり、作曲家のバイオグラフィーについて簡単にまとめたり、さまざまな角度から音楽の基礎的な教養を身につける、というクラスです。他にも、フォルマシオン・ミュジカルはフランス式ソルフェージュといえるものですが、主に既存の曲を使って聴音をしたり、実際に演奏してみて分析をしたりと、実践的な部分から音楽を学ぶクラスなどがありました。そして、室内楽と実技。この4つがメインの柱となっています。最終的には試験を受け、合格者には国家音楽研究資格が与えられます。これは、音楽を実践的に学んだ人に与えられる免状です。

 コンセルティスト課程は、直訳すると演奏家課程というもので、演奏家を目指す人を育成するコースです。こちらはヴァイオリンやピアノの方でも24歳まで入学ができます。例えば、日本の大学を卒業してから留学される方はコンセルティスト課程に進学される方が多いです。

ー大学を途中で辞めるという決断は、スペシャリゼ課程が22歳までなので大学卒業してからだと間に合わない、という判断だったんですね。

 はい、それも大きな理由です。

フランスの国家音楽研究資格はどういったものでしょうか。

 国の認定の資格ではあるんですが、この国家音楽研究資格はフランス国内でのみ使用できる独自の資格です。

 これとは別に国立高等音楽院などで学士課程を卒業すると、国家演奏家資格という国内外で活用できる資格を取得できます。

フランスの音楽文化や音楽の考え方について、感じたことはありましたか?

 フランスで特に感じたのは、演奏者と聴衆が音楽を共有する空間がとても密にできていることです。どんな場であってもとにかく音楽が主役なんですね。学校の試験でも、もちろん教授と生徒という立場ではありますが、立場を超えて音楽を愛する同志として聴いてくださっている印象でした。

 授業では室内楽でDuoを取っていたんですが、学校にはさまざまな国籍の方が集まっていて、在籍していた5年間はアジア諸国やブルガリア、アルバニア、キューバなど10カ国以上の方とアンサンブルする機会がありました。フランス語で議論しながら音楽を作っていくのですが、言葉の違いを超えて音楽を通じたコミュニケーションを図れることの喜びを感じました。

フランスで1番好きな場所は?

 サン・フランソワ・グザヴィエ教会(パリ7区)という、フランシスコ・ザビエルにゆかりのある教会で、そこのすぐそばに桜の木があるんです。春になると教会と桜が綺麗に重なって、懐かしい気持ちになっていました。

留学先の生活についてお聞かせください。

 自分は日本人なので、滞在するためには滞在許可証が必要で、その取得が1番のネックでした。私だけでなく多くの留学生が抱える問題です。大体1年に1回更新しなくてはなりません。学校の成績や銀行の残高、住居の証明書など、さまざまな書類をかき集めて提出しなければならない、本当に一大イベントです。こちらがきちんと準備していても、何かと理由をつけて突き返されることも日常茶飯事なので、あらゆる事態を想定して、反撃できるように言葉の準備もしました。居住地の管轄の役所に書類を提出しに行く時が本番よりも胃が痛かったです。

留学前と留学中では、ご自身のピアノとの向き合い方に変化はありましたか?

 日本での学生時代はとにかく必死だったと思うんです。数多く勉強しその中で質をあげていかなければならなかったので、どうしても義務感が強くなってしまって、少し閉じてしまうような面がありました。留学してからも少しの間は緊張によって閉じてしまう癖がそのまま続きました。しかし、私が通っていた学校は音楽に特化していた分、自分のやりたい曲を思いきり勉強できると環境だったということと、海外にいることで自分が何者でもない気楽さを感じるようになって、そこで少し自分の中で構えていたものが解けた感覚がありました。より音楽に対してストレートにベクトルを向けられるようになったと思います。

 スペシャリゼ課程を終え、コンセルティスト課程の入学試験を受けた際にも緊張でガチガチになっていたのですが、先生から一言「芸術家でありなさい」という言葉をいただいたんです。音楽を続けていく以上その意識がないとダメだ、と。その言葉によって一瞬にして心のベクトルが自分の緊張ではなく、音楽に向かったキッカケになりました。音楽を学ぶ学生であることは大前提ですが、芸術家を目指す者としての自覚を持たなければならない、という決意は強くなりました。

学校の課程を終え、そこで活動を続けるか日本へ帰るかというのは、留学生が必ず考えなければならないことかと思います。

 フランスに残って仕事をすることも考えはしました。しかし仕事の種類や数が多いわけではないということと、学べるだけ学んで日本に帰って仕事をしようという気持ちでした。

 留学は行けばいいという問題でもないと思いますし、色々な意見や考えがあると思うので難しいですが、大事なことは学びたい、という気持ちだと思います。もちろん海外へ移って活動や留学をすることは簡単ではないので、しっかりとした意志と行動力、計画性が無いと厳しいというのは大前提です。実際留学するにあたって、VISAを申請するために目的や展望を書いたりしますが、言葉にして人に伝えなければならないプレゼンのような目的はなくても良いと私は思っています。異質なものの中に身を置くだけで物事を多角的に見ようとし、その結果視野が広がっていくのではないのでしょうか。

10/1に演奏会がありますよ〜!必聴です!!

完全帰国後、現在YouTubeを中心に活動されているコロンスタジオにてオンラインレッスン室長を務められていますが、どのような経緯で始まったのでしょうか。

 室長になったのは、コロンスタジオのメンバーとして演奏会やYouTubeでの活動をしていく中で、リーダーの城所さんと話し合って決まりました。城所さんは高校の同級生です。自分が留学する直前に、城所さんのレッスンへ同行したりアンサンブルをしたことはあったのですが、在学中はそこまで接点はありませんでした。城所さんがコロンスタジオを始めて声をかけていただいたのをきっかけにやりとりが始まりました。

 オンラインレッスンが開講したのは昨年2020年1月末です。昨今の情勢に合わせたわけではなかったのですが、リーダーの城所さんが色々考えてアイデアを出していく中で、そういう展望があったのかなと思います。最終的には対面レッスンをメインにするため、その前段階として実験的な試みを始めました。

レッスンポリシーとして掲げている『皆様と音楽を繋げる駒で在りたい』とは?

 コロンスタジオにとって、『駒』は特に今のようなコロナ禍という困難な中でも、人と音楽を繋ぐ橋渡しのような存在でありたいという意味を持っています。活動としては、メンバーによる演奏会や学校の同期を招いてデュオリサイタルを開くなど、演奏活動が中心です。その他にも、もう少し不特定多数の方にも音楽を聴いていただければと考え、YouTubeでも日常的にお楽しみいただけるように演奏動画を定期的に投稿したり、メンバーによるライブ配信を行っています。そういったネットを活用することで、直接の顔見知りでない方ともチャットを介してお話したり、すこしでも音楽に興味を持っていただけるように工夫しています。

ピアニスト井上さんにとって音楽活動を行う上で原動力はどこにあるのでしょうか。

 あまり考えたことはありませんが、やはり音楽が好きなんだと思います。色々と苦しいこともありますが、結局音楽が好きでやめられない、また音楽の素晴らしさを味わいたい、という気持ちが原動力になっていると思います。

 クラシック音楽に対する難解なイメージが根強いと感じることが多いです。きっかけはクラシックでもポップスでも良いので、少しでも音楽というものに興味を持てるような演奏会や動画配信を通してアクションを起こしたい、というのが大きな目標です。特に今はコロナ禍なので、娯楽や文化に気を向けるのが困難な状況ではありますが、音楽は心を豊かにしてくれると思うので、少しでも豊かさを分かち合えるようにアプローチをしながら演奏活動をしていきたいと考えています。