【The Artist’s Mind】ヴィオラ・ダ・ガンバとの運命的な出会い。進学した国立音大で“古楽の楽しさを知った”/音楽と楽器と家族の三人四脚

今回はヴィオラ・ダ・ガンバ奏者で、国立音楽大学と上野学園大学附属中学校・高等学校で教えていらっしゃる坪田一子(つぼた いちこ)さんに楽器を始めたキッカケや学生生活についてお話を伺いました!

Profile
坪田 一子(Ichiko TSUBOTA)

国立音楽大学楽理学科卒業。在学中よりヴィオラ・ダ・ガンバを神戸愉樹美氏に師事。ベルギーでヴィーラント・クイケン氏、ポルトガルでパオロ・パンドル氏のマスタークラスに参加。ヨーロッパの中世からルネサンス・バロック音楽まで、アンサンブルを中心に演奏活動をしている。「ラウデージ東京」、「メネストレッロ」メンバー。上野学園中学校・高等学校、国立音楽大学非常勤講師。


ヴィオラ・ダ・ガンバとは、16〜18 世紀にヨーロッパの宮廷や教会などで演奏されていた擦弦楽器です。「ガンバ」とはイタリア語で脚を意味する言葉で、その名の通り、両脚の間に挟み演奏します。


──ヴィオラ・ダ・ガンバ(以下、ガンバ)をはじめようと思ったきっかけは?

坪田さん:子どもの頃からずっとピアノは続けていたのですが、中学生の時マンドリンクラブに入ることになり、そこでまずコントラバスと出会いました。そうしたら合奏がめっぽう楽しくて!1人でピアノを弾いているのとわけが違ったんですよね。なので中学、高校はずっとコントラバスを弾いていて。しばらくして進路を考えていた際に、いつもお墓参りに行っていた両国回向院のご住職の奥さまが、なんと東京藝術大学の楽理科を卒業されていて「楽理科はどう?」とおすすめしてくれたんです。その時は楽理科の存在を知らなかったので、ピアノだけではなく音楽について幅広く学べるのは良いなと思っていました。ちょうど同時期に、マンドリンクラブの顧問の先生がORIGO et PRACTICAという古楽研究会に所属されていた関係で、楽器博物館や古楽器の演奏会に連れて行っていただいていたのですが、とある日ガンバ奏者の平尾雅子さんの演奏会があって。ガンバという楽器も知らなかったから、打楽器かな〜とか思っていたんですけど(笑)そしたらすごくキレイな方がコントラバスに似た形の楽器を美しく弾いていらしたんです。その瞬間にこの楽器をやってみたいと思ったのがはじまりです。そのあとガンバを弾ける学校を調べてみると国立音楽大学の楽理学科(現:音楽情報専修)なら副科で履修できることが分かって、条件がバッチリだったから受験することにして。だから楽理科に入るというよりはガンバを弾くために入るみたいな感じでした。本格的に始めるまでに色々なご縁がつながったわけです。

──国立音楽大学での音楽生活はいかがでしたか?

坪田さん:その頃は楽理科だけが副科でガンバを履修することができたのですが、同じ科の仲間6人くらいでのグループレッスンが楽しかったですね。はじめはガンバにさまざまなサイズがあることを知らなかったんです。そのなかで私はテノールガンバ*を担当することになり。これまた合奏がはじまったら楽しくて楽しくて!先生はめちゃくちゃ怖かったんですけどね。その授業を中心に学生生活の1週間がまわるみたいな感じでした。でも2年生になったら私一人しか履修していなくて…そんな中でもビシバシ指導されながらめげずに頑張って今に至るという感じです。先生とのお付き合いは今でも続いています。

*小型の「トレブル」、中型の「テノール」、大型の「バス」の3つのサイズが主流で、
大きくなるにつれて音が低くなる。写真中央が「テノール」ガンバ。

──ガンバ漬けの生活だったんですね…!卒業後はどうされたんですか?

坪田さん:卒業してすぐ結婚しました。なので卒業して9年くらいは子育てと並行して演奏するという暮らし。おんぶをしながら弾いたり、リハーサルに連れていったり…。それでもお声がけいただいていたので絶えず演奏活動を続けられたのが良かったですね。3人目の子供が幼稚園に通い始めた頃、もっと精力的に弾きたいと思うようになったので、おばあちゃんやひいおばあちゃんに子守りをお願いして活動をしていました(笑)

お子様をおんぶしながら演奏する坪田さん

──そこから学校で教えることになるまでの経緯を教えてください。

坪田さん:突然上野学園の先生から電話がかかってきて、「今勤めてる中高の先生がやめることになったから、家も近いしどう?」ということで…。悩んだのですが、子どもたちに相談したら「誇りに思う」と言ってくれて。それなら!と思って引き受けました。

──突然だったのですね。

坪田さん:はい。それから勤続して10年くらいになりますね。勤め始めた当時は上野学園では普通科の生徒も履修できるシステムがあって、なぜか鉄道部の生徒さんたちが取ってくれていたんです(笑)男の子ばかりで大変だったけれど、とても楽しかったです。

──坪田さんが初めて楽器を手にとった時はどうでしたか?

坪田さん:私はテノールガンバからのスタートでした。1年目はグループレッスンで体型別で割り振られたんですよね。華奢な子は(1番小さいサイズの)トレブルで男の子は(1番大きいサイズの)バス、中間はテノールみたいに。あとテノールガンバってコントラバスと調弦が一緒なんですよ。なのでずっとコントラバスを弾いていた自分にとっては割と入りやすかったですね。ただ2年目になった時に急に一回りサイズの大きいバスガンバを渡されて。最初は全然弾けなかった…。さらに試験で渡された曲がタブラチュア*の楽譜で、弾き方は自分で調べなさいと言われて…タブラチュアの楽譜は初めて見たので、弾き方が分からず泣いちゃったんです。でも後輩にリュート*を弾く子がいたから、あれこれ教えてもらってなんとか。その後はすっかり楽しくなっちゃったんです。だからその頃の音楽が今も好きです。あと、古楽器合宿が楽しかったですね。大人になってからも合宿が好き(笑)ガンバの合宿は毎年あるので、子どもが生まれてからも一緒に連れて行ったりしていました。なので子ども達にとって合宿は家族旅行でしたね。「今度の合宿はどこ?」みたいな。

*リュート…15~17世紀、ヨーロッパで広く親しまれていた楽器。
卵のような形の胴と、直角に後方に折れ曲がった糸巻きが特徴。
Granger, NYC / The Granger Collection

──どういった合宿ですか?

坪田さん:ヴィオラ・ダ・ガンバ協会主催や自主企画などさまざまです。来春には京都の茅葺屋根の家を一棟借りてやることになっていて。関西だけでなく、仙台、関東など各地から集まるみたいなので今から楽しみです。学生時代もアマチュアのガンバ奏者の知り合いが多かったので、よく合宿に呼んでもらっていました。そこで毎回コンソート*後にごちそうが出るんですよ。そこで食べたことないお料理をいただいたり。七面鳥はそこではじめて食べましたね(笑)音楽好きのおじさま方って美食家だから、すっかり餌付けされちゃいました。あと楽譜もたくさん収集されていました。あれから年月が経って、楽譜をたくさんいただいたので、またそういった会を開きたいなと思っているのですが、私料理できないから…。

*コンソート…16世紀から17世紀にかけて、イングランドやドイツなどで行われていた器楽アンサンブルのことで、「合奏」の意味である。

──共通点の多いコミュニティがあるのは良いですね。

坪田さん:ガンバを演奏することも楽しかったけど、演奏以外のプラスアルファのことがえらく楽しかったですね。コンサートで日本各地に行けるのも楽しかったです。

次回はガンバの魅力に迫ります…!お楽しみに!

取材協力:国立音楽大学