「0歳から100歳まで楽しめる演奏会」をモットーに歩んできた15年間
アマチュア団体。音楽に対する想いや活動はプロの世界とさほど変わらず、楽団の数も多く存在しています。”楽器を始めたけれど楽団への入り方が分からない、興味はあるけれど情報が見つけられない”といった人たちへのなにかきっかけになれば。音楽はボーダーレスであり、音楽を身近に感じてもらいたいという我々の想いから密着取材へと繋がっています。
・楽団プロフィール・
すぎなみ彩楽ウインドシンフォニー(Suginami SYA-RAK Wind Sympohny)
2005年創立。杉並区を活動拠点とした一般吹奏楽団。
吹奏楽の演奏を通じ社会教育・文化交流を基軸とした一般団体の運営・発展を行う。
〇音楽監督
福田洋介(ふくだ ようすけ)※平成18年1月8日より
〇団長(令和3年度)
村拓人(むら たくと)※平成29年1月1日より
〇登録団員数(令和3年6月11日現在)63名
詳細はHPへ➤すぎなみ彩楽ウインドシンフォニー Suginami SYA-RAK Wind Symphony
●すぎなみ彩楽ウインドシンフォニーを取材したきっかけ
今回「Meet the Orchestra」の企画でアマチュア音楽団体を取材する話を代表から受けたとき、真っ先にこちらの楽団が頭に浮かびました。2016年の夏、私が通っていた大学の特任准教授・同大学ウインドオーケストラ指揮者として赴任されてこられたのが福田先生と初めての出会いでした。”作曲家 福田洋介”の名前は、吹奏楽経験者であれば誰もが耳にしたことがある、または演奏したことがある。といっても過言ではないのでしょうか。2年間、福田先生の元で音楽を学び、大学を卒業後も音楽を通して大変素晴らしい刺激をいただいております。
そんな関わりの中で精力的に活動している楽団のお話も伺ってた事もあり今回お声をかけさせていただきました。
創立から16年目を迎えた”すぎなみ彩楽ウインドシンフォニー”。
創立者であり音楽監督を務める作曲家の福田洋介さんにお話を伺いました。
ー2005年に創立されてから今年で16年目になると思うのですが、杉並で発足された理由というのは具体的になにかあるのでしょうか?
福田氏:そうですね、私が生まれ育った杉並区には吹奏楽に限らずいろんなアマチュアの音楽団体で活動している人たちが沢山いらっしゃるんです。そしてそこに自分が”属した”っていう時期が少しはあったんですよね。それをやっているときに、自分の性分としてそこのチームの中を動かそうとする性分があって。「こういったことをやりませんか?」「ああいったことをやりませんか?」っていうのをつくっていこうとするところがあったんです。それがそれぞれのチームにとってちょうどいいところと、それはどうだろうなっていうところで揺れ動くところがあって。けど、本当に自分でやりたいことがあるなら自分でやっちゃたほうが早いのかなっていう風に思うようになり始めたことが若い時にあったんです。
いつかはこの地域の中(杉並区)でコミュニティっていうものを、ちゃんと束ねられるかどうかは分からないけれど”ユニークなチーム”をつくれるんじゃないかっていうイメージはあったんです。
ーご自身の中で楽団をつくるイメージはずっとあったんですね。
福田氏:そうそう、どうせやるだろうと思ってずっとその機会をうかがっていたところはありますね。具体的にいうと、20代の頃に地元の中学生達と一緒に練習する機会をいろんな学校の先生方と交流しながら持つようになっていったんです。その教え子たちが卒業した後に、『なんかもうちょっと楽器やりたいなって思っているんです』って、いろいろなところから聞く事があって。だったら、集まって練習してみる?っていう事をちょっと思いついたんです。で、運が良ければチーム作っちゃおうか、っていう風にその時の教え子たちや友人たちも交えて始めたのがきっかけです。ダメもとで集まってみてやってみる、やってみた。そうしたら思いのほか盛り上がった。といった感じですね。
ーそうすると、教えていた学生さんたちの声からつくってみようか?といった流れで吹奏楽団の創立に繋がっていったのでしょうか?
福田氏:ん~、”学生たちの声”とはちょっとまた違うのかなあ。
一緒に楽しくやっていた音楽仲間たちの支えもあって、『それ、思いついたのならやりましょうよ』って言ってくれたっていうのが大きかったかもしれないですね。
ー創立から現在までいろいろな事があったかと思いますが、どのように今日まできたのでしょうか?
福田氏:まず、ここに至るまで一番大変だったのが、”市民権を得ること”だったんですね。
ー”市民権”、ですか?
福田氏:そう、まずみんなに知ってもらうっていうのが一番大きな命題なんだなって思っていて。市民権を得る為にっていうところに。それこそ第1回の演奏会で『こんなことしてます!!』って大騒ぎすることもできたと思うんだけれど、杉並の人たちに知ってもらう材料が何もない中でやっていくのは、ある意味危険だねていう話をしたんです。”ちゃんと自分たちのチームっていうのを足固めしていかないといっぺんに足元すくわれるよ”って創立メンバーと意見が合って、まずは1個ずつの演奏会を丁寧につくっていくことっていうのが課題だったのかなって思いますね。
その中で、こうやって頑張って私たちやっているんですっていう事を凄く草の根的に、中学校とかで教えていた学生たちに『こういう演奏会あるから、楽しそうだから見に来てよ』っていう話をしてみたりだとか、周りの先生方に『こんなのもやっているんです』ていう話をちょとずつしていきながら理解と協力を得るっていうことがすごく大事なことなんだなっていう風に思いました。
けれどもうひとつ難しかったのが、その時のメンバーたちが自分たちのチームに対して誇りを持てていなかった。自分たちがこんなに面白いことをやっているんだっていうのをもっと自慢してくれたらいいなって思っていたんだけどいかんせん演奏がつたなかったので、こんな演奏にお客さんが来てくれるんだろうかって思ってしまうんです。でも、好きでやっているんだから良いじゃないかっていうい感じも志がちょっとだけなんていうかな…若かったていうのかな。だけどそこを一歩ずつ脱皮していって、”せっかく集まったんだから少しずつ良い演奏ができるようにしていく必要があるんだと思うよ”ってことは内からも外からもいろんなお話を頂いたんです。だから自分たちで成長していくっていうのがとても大事なんだなっていう風に教えてもらいながらでしたね。けれど学生が終わった人たちもちょっとずつ増えてきて、自分の生活っていうものを学生が終わってから見出してきて両天秤にかけて、”こんなところでまだやっていくのかどうか”っていう揺れ動きみたいのところもあり…。
そこで、一緒に頑張ってもらえるだけの魅力が自分たちチームの中にあるかどうか自信がなかったのが最初の数年だったかな。
初回で40人集まった。けれど、次の演奏会(半年後)にそのメンバーのどれくらいが残るのかっていうと、半分も残らなかったんです。
その半年間でメンバーの士気やいろんなものが変わっていったというのがきっとあったんですね。
福田氏:そうそう、そういった意味では自分たちの文化の一部になり切らない状態。趣味にもならないみたいな状態。なんかちょっとやってる感じだったんでしょうね。だから最初のその2・3年かな、演奏会の直前にならないと人が集まらない事も多くて、やっぱりそれは良くないねっていう話はしていましたね。
ーやはりそういった点は難しさもありますよよね。音楽が好きで集まっているみなさんではありますが音楽をつくりあげていく中で技術的なギャップみたいな部分と向き合う難しさや、団員全体の士気を高めていくために何か具体的にされたことはあるんですか?
福田氏:外から何かをもらうということのまえに、中から変わっていく必要があるだろうという風に一旦は結輪がついて。じゃあいったい何が足りなかったんだろうなとなったときに自分たちの役目、それぞれのチームの中での役目、責を担う、ポジションを担うっていうのが大事なんだろうとなったんです。創立当初はいわゆるトップダウン型の運営をしていたけれど、不満が募る形になり成果も上がらない事が多かったですね。自分たちそれぞれ一人が係につき責を担うことにより、楽団に参加するという事の意志が増えたというのは大きな変化だったと感じています。
↑団員全員で行うリハーサルの準備
ー音楽監督と団長を分けている意味はどういった意味があるのでしょうか?
福田氏:ちょっとずつそこの意味付けを一緒に考えながら分けていきましたね。一番最初は楽団の代表兼音楽監督を自身でやっていたんですけど、楽団のチームのマネジメントと音楽そのものを監督、指導をするというのは分けた方がいいだろうと言ってもらえたんです。僕自身も運営に徹するのと指揮に徹するのどちらがいいかメンバーに聞いてまわって。その時に、”福田さんは運営ではなくて指導に専念された方がやりたいこと出来るんじゃないんですか?”って言ってくれた人と、”福田さんは指導力ないから降りたほうがいいんじゃないのか”といろんな意見が出てきてですね。最終的には僕自身で決断をして、代表を降りるという決断をしました。
預けることによってタスクがいい意味で整理されて次のステップに進めたかなと思います。
実はその時にやっと一般の募集をするようにに変わったんです。それまでは口コミで人を集めるところでしかやっていなかったので。
ー創立からどれくらいで一般募集になったんですか?
福田氏:4年目に一般募集を出しました。ネット上で出して、演奏会の当日にパンフレットでも団員募集の記事をはじめて掲載をしました。そうしたら意外にもすぐに応募が来たんです。
そこで、市民権というものを意識しました。このチームに見向いてくれる人がいるんだって。
嬉しいじゃないですか、知っててくれてるって。一緒にやろうとしてくれているってとてもありがたくって、そこからうちのチームの意識がぐっと変わってきたかもしれないですね。
続きは後編で!
最初はどのくらいの人数で演奏会をされていたんですか?